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照和 出身アーティストの伝説と相関図

照和 伝説のライブ喫茶

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Live&喫茶 照和

多くのアーティストを輩出した伝説のライブ喫茶 照和

Live&喫茶 照和が輩出したミュージシャン

敬称略

Live&喫茶 照和は、1970年代に日本の音楽界をリードする多くのミュージシャンを輩出した伝説の地です。昭和を明るく照らしたいという想いで「照和」と名付けられました。

「照和」出身のミュージシャン

チューリップ、海援隊、甲斐バンド、長渕剛、陣内孝則(THE ROCKERS)、石橋凌、鮎川誠(‎シーナ&ザロケッツ)、CHAGE and ASKA、THE MODSなど

当時の「照和」の様子

海援隊が歌った後にチューリップが歌う。コーヒー運んでいるのは甲斐よしひろ、お客さんが長渕剛や伊勢正三。「照和」の近くの喫茶店のマスターはタモリさんだったと武田鉄矢談。

ミュージシャンデビュー生年/大学
井上陽水1969年1948年
吉田拓郎1970年1946年/広島商科大学
チューリップ/財津和夫1972年1948年/西南学院大学
海援隊/武田鉄矢1973年1948年/福岡教育大学
KAI BANDO/甲斐よしひろ1974年1953年
鮎川誠/‎シーナ&ザロケッツ1975年1948年/九州大学
長渕剛1977年1956年/九州産業大学
石橋凌1978年1956年
CHAGE and ASKA1979年1958年/第一経済大学
THeROCKERS/陣内孝則1980年1958年
THE MODS1981年1956年

※大学卒業または中退

Live&喫茶 照和のエピソード

1970年代、フォークソング全盛期に、天神の須崎公園などでギターを弾き歌う若者が増えた中、歌うステージを提供したのが「照和」だった。「照和」は出演料700円(財津和夫氏より)、観客の目も厳しく、「照和」は博多のプロへの登竜門だと広まる。

また、23時閉店後に、練習場として朝8時まで、「照和」を解放してくれていた。

「照和」にミュージシャンが集まり東京へ進出

チューリップが状況し後に、福岡から東京進出のルートができたと、元九州朝日放送の岸川均氏は語る。チューリップはシンコーミュージック・エンタテイメントの最初の所属タレントで、財津和夫は、シンコーミュージックに甲斐よしひろのデモテープを聞かせ、また甲斐よしひろも、石橋凌の東京進出を薦めた。

ライブ喫茶 照和出身のアーティストのデビューと相関図
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財津和夫(チューリップ)

  • 1948年生まれ/西南学院大学
  • 1972年「魔法の黄色い靴」でシンコーミュージックからデビュー

財津和夫はザ・フォーシンガーズを結成後、1969年、第3回「全日本ライト・ミュージック・コンテスト」に出場。1位赤い鶏、2位オフコース、3位ザ・フォーシンガーズと言う結果。1971年に上京するが、2人がザ・フォーシンガーズを脱退したために、福岡に戻ることとなる。

財津和夫は、海援隊のドラムだった上田雅利とライラックの姫野達也を引き抜いてチューリップを結成し再度上京。「アイツ、全部いいところを持って行って、残ったクズで3人海援隊を組んだ」と武田鉄矢は話す。

武田鉄矢と吉田拓郎の会話

「財津はセンスが違う」と話す武田。「ビートルズの中期から後期にかけてマネするグループはいなかったので、「魔法の黄色い靴」はすごいと思ったと拓郎。

西南大学の財津和夫はジャズなども聞き、僕ら(武田鉄矢)福岡教育大学とは違って新しい音楽だったと話した。

財津和夫の音楽に関する厳しさ

演奏間違えたらね、全員並べましてねメンバーを、ほいでビンタはってましたよ。

チューリップのメンバー

メンバー生年/大学以前のグループ
財津和夫1948年生まれ西南学院大学ザ・フォーシンガーズ
吉田彰1948年生まれ西南学院大学ザ・フォーシンガーズ
姫野達也1952年生まれ八幡大学ライラック
上田雅利1950年生まれ福岡大学海援隊のドラム
安部俊幸1950年生まれ福岡大学ザ・フォーシンガーズ
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武田鉄矢(海援隊)

  • 1948年生まれ/福岡教育大学
  • 1973年「海援隊がゆく」でエレックレコードよりデビュー

1971年財津和夫が、海援隊のドラムだった上田雅利とライラックの姫野達也を引き抜いてチューリップを結成後、武田鉄矢はライラックの姫野の相方 千葉和臣を入れ3人編成の海援隊となる。その頃武田鉄矢は「照和」の店員でもあった。

1972年、フォークコンサート出演の泉谷しげると出会い、「エレックレコードからデビューしろ」と言われ、その場で海援隊のデビューが決まる。

海援隊のメンバー

メンバー生年/大学以前のグループ
武田鉄矢1948年生まれ福岡教育大学
千葉和臣1952年生まれ八幡大学ライラック
中牟田俊男1949年生まれ西南学院大学
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甲斐よしひろ(甲斐バンド)

  • 1953年生まれ
  • 1974年「バス通り」でシンコーミュージックよりデビュー

名鉄観光サービスに就職するも、ミュージシャンへの夢を諦めきれず、「照和」でウエイターをしながらステージに立っていた。

チューリップや海援隊が上京した後は、甲斐よしひろが「照和」を仕切り、甲斐よしひろのオーディションにより見いだされたアーティストが「THE MODS」の森山達也、「ARB」の石橋凌である。

1974年、「第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」全国大会で優勝(楽曲「ポップコーンをほおばって」)。財津和夫が、シンコーミュージックに甲斐よしひろのデモテープを聞かせ、1974年、シンコーミュージックから「甲斐バンド」デビュー。

甲斐バンドのメンバー

メンバー生年/大学
甲斐よしひろ1953年生まれ
大森信和1951年生まれ
松藤英男1954年生まれ
長岡和弘1951年生まれ福岡大学
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長渕剛

  • 1956年生まれ/九州産業大学
  • 1977年「雨の嵐山」でビクター・レコードよりデビュー

1975年、照和でライブ活動を本格始動。

1976年、第12回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し入賞。1977年、ビクター・レコードよりデビュー。

照和ではデビューできなかった人間がマネージャーをやって、新しい才能を見つけることもあった。ハリちゃんこと張田龍一、「あかんべぇ」というバンドをやっていた秋吉恵介は長渕剛を見出し、育てた。 

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井上陽水

  • 1948年福岡生まれ
  • 1969年「カンドレ・マンドレ」でデビュー(名義もカンドレ・マンドレ)

「照和」に行くと「歌ってよ」と言われ、一度歌ったことがあるとのこと。

「雨が降っていて傘がない」と歌う彼を「売れんで傘も買えんとね。かわいそうに」と武田たちは陰で笑っていたとか。

20240301照和にて|TAT
博多~大分の旅行記の番外編です。 実は旅行の際、博多で「照和」というお店にも立ち寄っていました。 けれどもそれについて書くと長くなるなと思ったので、あえて触れずにいたのです。 これはこれでひとつの独立した記事を書こうと思っていたのです。 九...

武田鉄矢は「照和」で井上陽水の歌を聞いた時は歌が上手くてショックだったが、悪口ばかりを言っていたと話す。

「傘がない」https://youtu.be/bnEX9lJACKU?si=e_E69fGFBmVB482q(井上陽水公式)

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吉田拓郎

  • 1946年生まれ/広島商科大学
  • 1970年「イメージの詩」でエレックレコードよりデビュー

1966年大学2年の時に、コロムビア洋楽部主催のフォークコンテストに出場、全国3位となる。1970年、 エレックレコードよりデビュー。

吉田拓郎も「照和」で歌ったことあるらしい。吉田拓郎が歌うと「誰やこれ?」とミュージシャンが集まってきたが、財津和夫だけは吉田拓郎の歌声に足を止めなかったと。

当時の吉田拓郎の噂は、博多のミュージシャンらにも伝わっており、「帰れ拓郎コール」もその噂(伝説)のひとつ。吉田拓郎の生み出す新しい音楽を認めない人らによって起こる「帰れ拓郎コール」。数千人のコンサート会場に「帰れ拓郎」とお金を払ってでも言いに来るお客さんで満杯にする吉田拓郎。そういう吉田拓郎の噂は博多のミュージシャンにも刺激になったに違いない。吉田拓郎の結婚しようよ」は1960年代からの学生運動、反戦を訴えるフォークソングとは違って、そういう時代が終わろうとしていた。

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CHAGE and ASKA

  • 1958年生まれ第一経済大学
  • 1979年「ひとり咲き」でワーナー・パイオニアよりデビュー
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藤井フミヤ

  • 1962年生まれ

照和のマスターが、「小学生がね、来たがってるんで追い払った」っていう。小学校6年生くらいの子が、照和でお兄さん達が歌ってるから聞きにきたって、ところが小学生はさすがに入れられないんで追い返したら、その子がチェッカーズのフミヤ君だった。

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照和について語る照和出身のミュージック

ワン・ステージのギャラが700円くらいでした。
1アーティストに700円ですから、ソロもバンドも700円!!
われわれチューリップは、当時4人でしたから700÷4=175円。
ぼくは、175円のギャラとレスカ&トースト(厚めというより説得力のある1枚)で、
その1日を生活していた訳です。700円は僕の青春の値段です。(財津和夫 チューリップ)

照和伝説 福岡発の音楽文化

人は、誰でも青春のたまり場をもっている。
私のたまり場は、フォーク喫茶「照和」だった。
そこで私は、いったい幾つの夢を描いただろう。
そこにあったのは、歌と夢と友だった。
その他には、何もなかったし、何も必要としなかった。
私は、くっきりと若く、恥ずかしいほど一途で、そして無名だった。(武田鉄矢)

照和伝説 福岡発の音楽文化

1970年、私が大学1年の時、元チューリップの姫野(現オールウェイズ)と二人で
ライラックと言うグループを組んでいた。

“照和”オープンの当日音楽仲間から「照和というフォーク喫茶が開店するとばっ てん
出演するバンドが足りんけん出ちゃってんね」と言われ大学の講義が終わり
しだい二人で天神へ向かった。

その日から、ほとんど毎日、雨の日も風の日も大学の試験の日も、
必ず一日一回は“照和”に足を運んだのです。

あの地下室の小さなスペースにはまだ若かりし頃のたくさんの仲間達の
喜怒哀楽があり、毎日がお祭のような青春があったのです。

71年の夏、海援隊として東京へ行こうかどうか迷っていた時
香椎球場でのコンサートの夜、ゲストで来ていた泉谷しげる氏が音楽仲間を集めて
「俺が海援隊を東京へ連れて行く!責任をもつから」と言ってくれたのも“照和”でした。(千葉和臣 海援隊)

照和伝説 福岡発の音楽文化

1978年に一度閉店したが、1991年に営業を再開

  • 1970年11月 照和OPEN
  • 1978年 照和閉店
  • 1991年 照和営業再開
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Live&喫茶 照和でのライブをドキュメント映画作成

伝説の地「Live&喫茶 照和」でのKAI BANDOのライブ映像を、「Live&喫茶 照和」出身のアーティストのインタビュー映像を交え、ドキュメント映画となっています。

ドキュメント映画「照和 My Little TownKAI BAND

2010年の伝説のライブハウス「Live&喫茶 照和」にておこなわれたKAI BANDのライブ映像を収録。

2010年4月におこなわれたKAI BANDの歴史的原点回帰ライブ。わずか60席、3日間で合計約300名の観客しか体験することができなかった貴重なライブ映像をカメラ8台を駆使し完全収録!

https://amzn.to/42QBJTr
照和 My Little Town KAI BAND
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Live&喫茶 照和の地図・営業時間・公式サイト

公式 http://www.live-syouwa.com/

Map Googleマップ でお店の地図とクチコミを確認

多くのアーティストを輩出した伝説のライブ喫茶 照和
Live&喫茶 照和
福岡市中央区天神2丁目10-2
11:00-17:00
ライブ営業17:00-22:00(現在はライブ営業は停止している)
定休日 月曜
喫煙可 20未満は入店できない
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Live&喫茶 照和の写真

トーストセット

多くのアーティストを輩出した伝説のライブ喫茶 照和
多くのアーティストを輩出した伝説のライブ喫茶 照和
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Live&喫茶 照和のメニュー

ランチメニュー

ドリンク・サラダ付き

  • 照和特製カレーセット 1200円(税込)
  • 博多めんたいパスタ 1400円
  • 博多チャーシューセット 1200円 他

  • ケーキセット 900円

参考

  • https://note.com/jolly_elk36/n/n8d2a04460f78(20240301照和にて)
  • https://midnight-hero.com/entry/2016/02/01/225903
  • 武田鉄矢氏のラジオ番組
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